カフェテラッツァができるまでの極私的巷説・ひとつの再生物語
(1)カフェテラッツァの前身

実は、ここはもともと2年ほど前まで『アトリエ・ド・カフェ』というけっこう有名なカフェだったという。しかし、お店が営業していた頃は全くといってよいほど知らなかった。かつては北白川・一乗寺あたりに下宿していたので土地勘はあったが、それほど長く私が京都を離れていたということだ。

アトリエ・ド・カフェの前オーナーは、渡辺千萬子さんといって、著名な日本画家「橋本関雪」のお孫さんであると同時に、文豪「谷崎潤一郎」の養子の嫁であるらしく、芸術や文芸に明るい女性であったらしい。文献によれば、哲学の道と呼ばれる疎水沿いにある名物の桜は、そもそも橋本関雪とその夫人が精力的に植えたともある。

そんな訳で、次のオーナーでもある京都在住の友人から、「このまま店を閉めたままだと如何にも惜しい。なにか良い再生の方法はないのだろうか?」と尋ねられて初めて現地を見た。

多くの商業立地にある遊休施設の再生や複合商業施設のプランニングを手がけて、文字通り「再生」を看板に掲げるプロのプランナーとしての立場から言えば、実のところ余り関心をそそるような物件ではなかった。

まず第一に古い・・・築25年以上。かなりの補修が必要であるし、内装や営業用什器で使えそうなものは皆無だった。第二に店の前は疎水で、橋が付いておらず、車も寄り付けない。第三に鬱蒼と茂った木々が邪魔で唯一の最寄りの洗心橋からも春や夏は店が視認できない。第四に当該物件は法然院前からの急な山垂れに建てられた再築不能と思われる四階建てマンションの一階部分であり、将来に渡って住環境と商環境との理想的な融合などは望むべくもないこと。第五に冬場に哲学の道を訪れる観光客などは余り期待できないであろうこと・・・・などなどの理由で最初の訪問から一年以上も私の頭からは消え去りかけていた。(この項続く)

 前オーナー千萬子さんと谷崎の往復書簡集。昭和26年から39年前後まであり、最後の手紙は現カフェの住所と同じ「左京区鹿ヶ谷法然院町72」で行き来がある。

出版は中央公論新社。今でもAmazonとかで入手可能です。

内容についての書評とかはまた当ブログの方でしてみたいと思います。私としては、その昔谷崎を積極的に文壇に推挙したという先輩・永井荷風の方にどちらかといえば関心があって、市井の男女の機微に執着しているが如く見えた谷崎の著述は余り読んだことがなかった。

いずれにしても千萬子さんのなかなか「はんなり」とした京女的情緒ある文章と、谷崎の江戸っ子風なせっかちと思える用件一点張りの文章の対比が面白い・・・一読の価値ありかも。

荒れるに任せた感の私が最初に訪れたときのアトリエ・ド・カフェ。 かつてのカフェのテラス、落ち葉を拾うひともなく悲しい佇まいだった。
かつての店内。オーナーのこだわりは感じられたが、やはり古い感じがした。 一度閉めた「店」は、なべてこんな運命に陥るのだろう。とても悲しい風景であった
(2)再生へのヒントと新たなるコンセプト

2004年の暮れだったか、もう一度京都に立ち寄り、カフェの跡地を訪れた。すっかり腐ってしまった歩くとギシギシと音のする床に閉口しながら、店の奥の倉庫を懐中電灯で探索すると、前オーナーが丹精込めて作ったであろう数葉の絵葉書がバラバラと出てきた。それには、在りし日のアトリエ・ド・カフェが幾つかのアングルで撮影されており、春は桜、秋は彼岸花、冬はクリスマスの頃の雪景色など四季折々の景観がコンパクトにまとめられていた。

かつて30年以上も前に、北白川近辺に住んでいたことのある私にとって何らの説明も要らないそれらの風景は、『哲学の道』がこんなに有名になる前からの風情を体現していて、前オーナー千萬子さんのある種の矜持を充分に感じさせた。四季のある京都の佇まいは、まだ私の肌の中に「青春」として残っていたものだった。夏はもの凄く暑く、冬は体を悪くするほど寒く・・・この地で学生時代から卒業しても数年間を、かけがえのない仲間と一緒に過ごした。人生を生き急いだ仲間たちの幾人かは既に鬼籍に入っており、既に何度も「追悼の会」を各地で体験することとなる年齢を迎えて、もう一度この地に帰ってくるのも一興かと一瞬だけ頭をよぎったが、目の前の「廃墟」のような風景の方が存分に重くて、自分のバランス感覚を慌てて取り戻したのだ・・・

しかし、帰ってからじっくり考えてみると、まさに私のようなヒストリーを持った人間以外に、あのようになってしまった店舗は再生できないだろうなぁという思いと、ノスタルジックな旧カフェを、思い切って現代的なバージョンに転換させてみてはどうかというプロットが浮かんできた。ここ数年来、向こうでのビジネスを模索して通い詰めてきたオーストラリア・シドニーの「オープン・カフェ」が、それらのコンセプトの下敷きになった。人口450万人を誇るシドニー市内を走るモノレールが鉄橋を渡るロケーションにあるカフェは、朝になると湾岸にたむろする様々な海鳥が、観光客の投げるポテトやベーコンを先を争って食べに来る・・・体の小さな鳥は、大きな鳥の食べ残した餌をこっそりと陰になるようなところで啄む、子供の鳥はお母さん鳥から餌を細かく噛み砕いてから、ピーピーと食べる・・・まさにオープン・カフェは、自然と触れ合うという意味で、素晴らしいひとときを演出できる。だが、「哲学の道」には「海鳥」は居ない・・・ふと思い出すと、哲学の道の敷石を引き詰めたプロムナードには、「犬の散歩禁止」という無粋な立て看板があった。私も愛犬家のハシクレなので、これにはムラムラと持ち前の反骨心を刺激されていた。犬はペットなんかではない、人間の古くからの友達なのに・・・

幸い対岸にあるカフェの面している側道は、狭いけれども犬を連れて散歩するひとも多く、愛犬家のひとびとはカフェの前を思い々いに歩いてゆく。私は迷わず「ドッグ・カフェ」というコンセプトを突然に編み出した。あとは付随的に、こんなカフェが身近にあったらなぁという自分の思いを付け足してゆくことで完成に近づいた。箇条書きにすると以下のとおりである。

1.愛犬と至福のときを一緒に過ごせる文字通り開放的なオープン・カフェ

2.いつもBGMにはJAZZが流れて、気分がスイングする自分を満喫できるカフェ

3.気取らず安価なメニューを可能にする「イタリア料理」とおいしいドリンク

4.趣味も仕事もインターネットが無いとできないという現代人のための無線LAN完備のお店

これらの4つのコンセプトを融合することによって、今の京都のどこにもないお店を創造できるという確信に辿り着いた。もともとカフェというのは、外国では単なる「喫茶店」などではなく、市民生活の中に深く溶け込んだ「劇場的要素」のある一個の市民が主人公になり得る舞台でもあるのだ。ひとびとはそこでビジネスもするし、新しい出会いも体験するし、さらに音楽も楽しむし、時には果てしなく恋も語るのだ。

私は、この4つのコンセプトの実現によって、京都における「先駆性」と「ユニークさ」だけは確保できるであろうと考えた。さらに、「哲学の道」と銘打ってはいるのだけれども、現存の店舗には、どこにも「哲学」の臭いはなく、またそれは無理からぬことだろうと感じて、西田幾太郎の全集やハイデッガー、ヴィットゲンシュタインなどの原書を置こうと思い立った。それに何よりも敬愛する京都ゆかりの高橋和巳先生の全集も開架に置きたいと・・・彼の「悲の器」や、「憂鬱なる党派」、「日本の悪霊」などを青春の時期に読んでひとり佇立していた過去に、再び向き合う自分を対置しておきたいと念ずるようになった。(この項続く)

アトリエ・ド・カフェの絵葉書

表と裏を同時にスキャンしてある。在りし日のカフェの佇まいがとてもよく表現されている。今のカフェテラッツァに比べると随分と和風だったことがよく解るだろう。ちなみに私はとても和風が苦手で、自分が設計したりしたお店は殆どが洋風であり、この国を意識して作ったものはない。とても使い辛いのだ・・・和風なお店は。

商業施設の衰微という点で、今の我が国にある基本的な建築コンセプトは殆ど全てが「輸入」概念であるという悲しい現実がある。この傾向の固定化について、誰も異議を唱える者は居ないようだ。廃れて廃棄されていくコンセプトは、一体誰が記録に留めておかねばならないのか・・・

早朝、7時半頃。二匹の愛犬とカフェへ続く道を散歩する知らない愛犬家のおじさん・・・とても心和む風景だった。